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2010年3月3日水曜日

Prostějovプロスチェイオフ村

Prostějovプロスチェイオフ村と云えばチェコ人だったらOP Prostějovオー・ペー・プロスチェイオフと云う縫製工場を想像するのではないでしょうか?
チェコ人は世界のファッションをリードし、世界中の人々が同社製の服に憧れ、世界中のファッション・デザイナーが同社のデザインをコピーし、遂にはダサい服しか作れない日系企業が同社のデザインを真似するために同村へ進出ていると勘違いしているほどの有名な会社です。
因みにOPとは同社の登記上社名Oděvní podnik, a.s.洋服会社(株)の略です。

では世界のファッション界をリードしているかも知れないOP ProstějovのコマーシャルをYouTubeで発見したのでご覧ください。
OP Prostejov Multimedia Presentation


OP PROSTĚJOV - focení produktů, podzim - zima 2009 / 10


<村概略>
オロモウツ県プロスチェイオフ郡の中心都市である同村は1141年には文献に登場します。1390年に都市と指定されます。
フス派戦争の際はあっさり防護壁を破られ村は略奪の対象とされ荒れ果てます。
1495年に再度村を守る防護壁建設が始まります。
1521年から1538年に架け村再建のシンボル村役場が建設されます。
16世紀後半からリヒテンシュタイン家が同村の城主として赴任してきます。
1527年にはモラビア初の印刷工場がお目見えします。
30年戦争の最中1697年大火に見舞われ再度村は荒廃します。この大火後、村の建物はバロック様式建築物を中心に再建されます。
1858年にMandlマンドル兄弟により最初の縫製会社が設立され以後服飾産業が盛んとなり、(チェコ人に言わせると)世界のファッションをリードするまでに成長します。
この頃より村の様子は様変わりし懐古主義的な建物やセセッション様式建物が増えて行き現在の姿になります。

<主な見所>
◎Zámek Prostějovプロスチェイオフ城
同村の旅をお城から始めましょう。
お城は1522年から1526年に架けて最初の建物が建てられます。
30年戦争でお城は崩壊し、残った部分を16世紀から17世紀に架けて牢屋として利用されます。
しかしスウェーデン軍が徹底破壊しました。応急修理はされたものの再建されず倉庫やユダヤ人収容所として使用されます。
19世紀後半にChmelařフメラージュ家が城を購入し文化センターとして甦ります。その後プロスチェイオフの地元貯金局の手に渡り大改装されます。その後現在は村役場の一部として利用されています。

◎nám.T.G.Masaryka T.Gマサリク広場
ではお城を後にし村の中心広場に向かいましょう。
広場東側に1973年に建てられた近代的建物(スーパー)が景観を壊し残念な気がしますが、それを差し引いても歴史を感じさせる素晴らしい広場です。

◎Nová radnice 新村役場
お城からT.Gマサリク広場に入って直ぐの所に広場のシンボル的建物となった新村役場が有ります。
新村役場建物は1914年に完成しました。
高さ66㍍有る尖塔は建物の中心に建設される予定でしたが、村は建物中央・左部分の土地を手当て出来たのみで右側は購入出来なかったので中心と左部分のみが建設され、右側部分は建設されないまま現在に至っています。

◎morový sloup Panny Marie ペスト克服マリア様スロープ
新村役場からT.Gマサリク広場中心に向かって行くと、1714年にペスト克服を記念して建てられたマリア様スロープは同広場の守護として村民に親しまれています。

◎Stará radnice旧村役場
マリア様スロープを後にして更にT.Gマサリク広場を探索しましょう。新村役場を背にして右側に旧村役場が見えます。
旧村役場は1521年から1530年にかけ建てられました。1697年に火災に遭いバロック様式の建物に建て替えられます。新村役場が完成する20世紀初頭まで村役場として利用されていました。
その後プロスチェイオフ博物館として生まれ代わり現在に至っています。
同博物館ではこの地方の古い生活様式や民族衣装を紹介する常設展示も有ります。

◎Národní dům v Prostějově国民の家
T.Gマサリク広場を後にしてVojáčkovo nám.兵隊さん広場に向かいましょう。
そこには1905年から1907年に架けて建てられた多目的村民ホール”国民の家”があります。
映画、オペラ、コンサート上演と村民の文化活動を担っています。

◎Městské hradby要塞
私が同村を訪れた2006年夏に駐車場に車を留め、中心地見学を終え”国民の家”見学後に要塞跡に向け進むとそこには信じられない光景が、、、
そうです当時所有していた私の車がニッコリ笑っていたのです。自分が車を留めた駐車場の壁こそ村を守る要塞跡だったのです。
村を守ってきた要塞は 1865年以後少しずつ壊されとうとう駐車場の壁と成り果てていたのです。
正に歴史と共存です。

◎YouTubeで見つけた同村案内ビデオ。
Prostějov


<リンク>
プロスチェイオフ村役場
プロスチェイオフ博物館
オー・ペー・プロスチェイオフ社
プロスチェイオフ現在の様子(ウエブ・カメラ)

<旅のヒント>
Praha hl.n. プラハ本駅より直通列車が運行されています。所要時間片道約4時間53分。

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<更新暦>
2009年07月21日、第一編集終了。

2010年3月2日火曜日

Bouzovボウゾフ村

Bouzovボウゾフ村は人口1480(2006年7月3日現在)で非常にこじんまりとした村です。
村の見所もお城以外は殆ど有りません。
しかしこのお城はHrad pohádek御伽のお城と呼ばれ、数々の御伽噺の撮影舞台となっています。
以下に私が記憶しているボウゾフ城で撮影された主なテレビ、映画リストをご紹介します。
1959 O medvědu Ondřejovi
1981 Kopretiny pro zámeckou paní
1982 Navrácená krása
1986 Třetí sudička
1987 Válka volů
1987 O princezně Jasněnce a létajícím ševci
1990 O Janovi a jeho podivuhodném příteli
1990 Jeskyně Zlatá růže
1990 Arabela se vrací aneb Rumburak králem Říše pohádek
1992 Fantaghiro II.
1992 Tanec pro Boha
1993 Mladý Indiana Jones
1993 Fantaghiro III.
1994 Fantaghiro IV.
1995 Azrael, anděl smrti
1996 Deset století architektury - dokument
1997 Rumplcimprcampr
1998 Kruté jezero
1999 O poklad Anežky České
2003 Napola
2004 Krev zmizelého
2004 Po stopách - dokument
2005 Loupežník Hotzenplotz
2005 Království potoků
それではボウゾフへの旅へ出かけましょう。

<村概略>
オロモウツ県オロモウツ郡に属する村の名前は、14世紀に集落を村として創設したBúzovi z Búzovaブーソフのブゾフ家から来ています。
同一族は村創設と同時にお城も建てました。
その後城主は目まぐるしく変わり安定しないまま20世紀を迎えます。
村役場公式サイトにも記述されていますが”貧困村”だったと云えます。
1317年から1339年に架け最初のお城が建てられ、その後増改築を繰返し1910年の大改築により現在の姿となります。
1939年にはナチスSSの事務所とされた時代もあります。

<主な見所>
◎Hrad Bouzov ボウゾフ城
・YouTubeで見つけたボウゾフ城で撮影された御伽噺の映像。
O Janovi a jeho podivuhodném příteli

Kopretiny pro zámeckou paní


・YouTubeで見つけた空から見たお城の様子。
Castle Bouzov Czech Republic


・vimeoで見つけたボウゾフ城の様子。
Hrad Bouzov 14.8.2007 (Castle)

Hrad Bouzov 14.8.2007 (Castle)
from Castudio - Miroslav Cága on Vimeo.

またロマンティックな結婚式も挙げられます。
Robert & Raina's Wedding Clip - (HRAD) Bouzov Castle!

Romantic castle Bouzov & Czech brewery


結婚式のお問い合わせはObecní úřad村役場matrika戸籍係りまで
住所:Obec Bouzov 783 25, Bouzov 2
tel. :585346207, 585346223
fax :585346223
e-mail :obec.bouzov@volny.cz

Galerie v podhradí Bouzov a sklářská minihuť御伽噺ギャラリーとガラス細工ミニ工場
御伽噺ギャラリーは村役場裏広場に有ります。高さ15メートルのTrójský kůňトロイの木馬が目印です。
トロイの木馬内部がギャラリーとなっています。また野外広場には御伽噺をに出てくる武器などを紹介しています。
・YouTubeで見つけた同ギャラリーでの野外出し物の様子。
Strelba na Bouzove


<リンク>
ボウゾフ村役場
ボウゾフ城

<旅のヒント>
プラハからはオロモウツ市かブルノ市でボウゾフ行きバスに乗換える必要があります。
乗換の待ち時間などを考慮すると片道6~7時間かかります。

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<更新暦>
2009年07月20日、第一編集終了。

2010年3月1日月曜日

Olomoucオロモウツ市

Olomoucオロモウツ市は私の好きな都市の一つです。
チェコに来た1993年末から1995年までStátní Jazyková Škola v Prazeプラハ語学塾で日本語の先生をしていた事があります。
その時、同市のパラツキー大学哲学部アジア学科日本語科で教鞭をとる日本人教師から生徒さんたちとハイキングをする誘いを受け同市を赴いたのが最初の訪問です。
モラビア地方に日本人は殆ど住んでいなく日系企業も皆無で、大学を卒業しても日本関連の仕事に付くなどと言う事は絶望的だった当時の生徒さん達は、心の底から日本と言う国が好きで日本を学びたい一心で学んでいる熱心さがありました。
なぜ彼らは得にもならない事にそこまで真剣になるのかと感激するとともに、純粋な彼らの心を育んだオロモウツ、そしてモラビアと言う地方に興味が湧き、以来モラビア・ファンになりいまだにモラビアが大好きでとうとうブルノ市に引越ししました。
見つけた彼女もモラビアの女の子です。
(ここで言うモラビア地方とはオロモウツ県、ズリーン県、南モラビア県の3県を合わせた、所謂オーストリー帝国時代のモラビア地方です。)
では今回はモラビア・ファンになる切っ掛けを作ってくれたオロモウツ市を訪問しましょう。

<市概略>
オロモウツ県オロモウツ郡の中心都市である同市は、伝説によると古代ローマ帝国の拠点が置かれていたとの事です。
7世紀には集落が形成されて大モラビア帝国の重要都市の一つで有った事が解っています。11世紀には文献に登場しお城も建設されます。
1063年に司教座が置かれキリスト教の中心都市として発展してゆきます。またこれが仇となり共産党政権時代は軍の施設が置かれたり、歴史的時計台を共産党のシンボルとして作り変えられるなどと言う目にも遭います。
13世紀には王家の都市と指定されます。17世紀に30年戦争で疲弊した同市はモラビア王国の首都としての役目をブルノ市に譲ります。
歴史的街並みの建設は11世紀に始まり19世紀に完成します。
Sloup Nejsvětější Trojice三位一体スロープ が2000年にユネスコ世界遺産に登録されました。

<主な見所>
◎Václavské náměstíヴァーツラフ広場
ではオロモウツ市中心地見学をヴァーツラフ広場から開始しましょう。

◎Katedrála svatého Václava 聖ヴァーツラフ司教座教会
さてヴァーツラフ広場には聖ヴァーツラフ司教座教会が聳え建っています。
同教会の建設は1107年には始まり1131年に完成しましたが、1204年の大火後にゴシック様式建築物に改装されました。その後数回の増改築を経て19世紀には現在の姿になりました。
荘厳な内装。

◎Románský biskupský palác (Přemyslovský palác)ロマネスク司教宮殿(プシェミスル宮殿)
聖ヴァーツラフ司教座教会横にロマネスク司教宮殿(プシェミスル宮殿)が有ります。
元々はプシェミスル王朝時代の貴族Svatoplukスバトプルク家が12世紀に同家城の隣に建設寄贈した司教館でした。17世紀後半から18世紀初頭にかけ後期ゴシック様式に改築されます。
現在同宮殿は管理をオロモウツ大司教管区博物館に委ねられ、同博物館見学コースの一つとなっています。

ARCIDIECÉZNÍ MUZEUM OLOMOUCオロモウツ大司教管区博物館
またヴァーツラフ広場にはオロモウツ大司教管区博物館があります。
同博物館は2006年にオープンしたカトリック教会とチェコ文化庁との共同運営博物館で主にオロモウツ市の歴史/キリスト教史に関する展示をしています。
・同博物館公式サイトで見つけた同博物館紹介ビデオ(チェコ語)。
Milostný obraz Panny Marie Zašovské Restaurování 2007 - 2008
ザショウフスキーの聖母マリア慈愛画2007-2008年復元の様子
Kočár biskupa F. J. Troyera Restaurování 2004 – 2006
2004-2006年トロイエル司教馬車復元の様子
Ke slávě a chvále
栄光と賞賛
Monstrance Zlaté slunce Moravy Restaurování 2005
モラビア黄金陽の聖体顕示台2005年復元の様子
Expozice I. 展示I
Expozice II. 展示II
Expozice III. 展示III
Expozice IV. 展示IV
Expozice V. 展示V
Expozice VI. 展示VI
Expozice VII 展示VII

◎Arcibiskupský palác司教館
さてヴァーツラフ広場を南に下りBiskupské náměstí司教広場に向かいましょう。
そこには30年戦争後の再カトリック化時代の1665-1685年に建てられたバロック様式の館です。
1777 年に同館はスウェーデン軍に占拠され政治の舞台となった事もあります。また1848年ウィーン三月革命の際にはフェルディナント1世皇帝がこの館へと逃れました。

◎Kašna Tritonůトリトン噴水
司教館を後にしnáměstí Republiky共和国広場に向かいましょう。
1709年に建てられたバロック様式のトリトン石造噴水があります。

Muzeum moderního umění現代芸術博物館
共和国広場からDenisovaデニス通りに入って直ぐのところに現代芸術博物館があります。
・同博物館公式サイトで見つけた同博物館紹介ビデオ。
Záznam besedy na vernisáži výstavy Listování 1. část
  展示リスト作成会議録1
Záznam besedy na vernisáži výstavy Listování 2. část
  展示リスト作成会議録2
Záznam besedy na vernisáži výstavy Listování 3. část
  展示リスト作成会議録3
Workshop s Michaelem Rittsteinem
  ミハル・リトステインとのワークショップ

◎Jezuitský konviktuイエズス会多目的ビル
現代芸術博物館をご覧頂いた後Univerzitní大学通りに向かいましょう。
そこには現在パラツキー大学芸術センターとして利用されている1660年から1667年に架けて建設されたバロック様式のイエズス会多目的ビルが有ります。
前世紀には同多目的ビルをČeskoslovenské armáděチェコスロバキア軍が利用していました。90年代に入り軍に替り大学が利用する事になります。

◎Kaple svatého Jana Sarkandra (Olomouc)聖ヤン・サルカンドラ教会
イエズス会多目的ビルと目と鼻の先に聖ヤン・サルカンドラ教会が建っています。
元々この地に15世紀に建てられた刑務所が有りました。その刑務所で1620年にサルカンドラ神父(1576 – 1620)が殉教した場所でも有ります。
サルカンドラ神父は1619年にポーランドのチェンストホーバーに巡礼の旅に出ました。この時にPopel z Lobkovicロブコヴィツのポペルから聞いた告解の内容を漏らすようFerdinandフェルディナンド皇帝から強要され同刑務所に収容され拷問刑を受けましたが、告解の内容を洩らしてはならないと言うカトリック教会の掟を守り殉教したのです。
18世紀にサルカンドラ神父が殉教した辺りに同神父に奉げる教会が建てられます。1909年から1910年に架け建て替えられ現在の姿と成ります。
1995年にヨハネ・パウロ2世教皇が同教会を訪れサルカンドラ神父を聖人であると宣言し以後同教会は聖人教会となります。

◎Kostel sv. Michala聖ミハエル教会
聖ヤン・サルカンドラ教会の後ろにはドミニカ修道会修道院に属する聖ミハエル教会が聳え立ちます。 13世紀に最初の教会建物が建てられます。30年戦争で同教会は痛めつけられ1673年から1699年に架け大改修工事を行いバロック様式建築物に姿を変えます。18世紀前半に大修復工事が施され現在の姿と成ります。
また修道院部分建物は19世紀に神父のセミナー用建物へと利用目的を変えます。

◎Jupiterova kašnaジュピター噴水
聖ミハエル教会を後にしDolní náměstí下広場に向かいましょう。
同広場にはジュピター石造噴水が有ります。同噴水のジュピター像は1735年に以前のsv. Floriána聖フロリアン像と入れ替えられています。

◎Mariánský sloupマリア様スロープ
下広場の真ん中辺りにマリア様スロープがあります。
1714年から1716に架けモラビア地方を襲ったペスト克服を記念して1715年から1723年に架けて建設されたスロープです。
1995年に国宝指定されています。

◎Neptunova kašnaネプチューン噴水
下広場北西側にネプチューン噴水があります。同噴水はオロモウツ市で最も古い噴水で1683年に建設されています。

◎Horní náměstí上広場
さて下広場見学を終えいよいよ総本山である上広場に向かいましょう。

◎Caesarova kašnaシーザー噴水
下広場から上広場に向かうと先ず目に付くのが1725年に建設されたGaius Iulius Caesar ガイウス・ユリウス・カエサル石造噴水です。同噴水はオロモウツ市で一番高い噴水です。

◎Edelmannův palácエデルマン宮殿
上広場北側面にはエデルマン宮殿が有ります。
この宮殿にはオロモウツ市初の映画館が有った事でも有名で、長い間オロモウツ市民の文化センターとして親しまれていました。
同建築物はVáclav Edelmannヴァーツラフ・エデルマン市長が1572年から1586年に架けて建設したと言われていますが確実な記録が無いので定かでは有りません。しかしこの頃建設された事は間違い有りません。
1867年から1871年に架け大修復工事が施されています。
1719年に迎賓館として利用する目的で市が買い取ります。
1908年にオロモウツ市初の映画館が同宮殿内にオープンします。

◎Herkulova kašnaヘラクレス噴水
ヘラクレス噴水はオロモウツ市で二番目に古い石造噴水で1687年から1688年に架け現在三位一体スロープが建っている場所に建設されました。
三位一体スロープ建設に伴い1716年に現在の場所へ移されました。

◎Orloj時計台
大広場の中心地に聳え立つ市役所建物のヘラクレス噴水前辺りに時計台があります。
1419年から1422年に架けて最初の時計台が作成されました。1474年に最初の改修工事が行われます。
第二次世界大戦で壊された同時計台は共産党政権によりモチーフを社会主義リアリズムの時計台へと作り変えられ現在に至ります。
社会主義リアリズム以前の姿。

・YouTubeで発見した時計台を紹介ビデオ。
Dělnický orloj zaplatí kasino

communistic astronomical clock

Olomouc Astronomical Clock


◎Radnice市役所
では時計台が建っている市役所の見学をしましょう。
1378年に市役所建設許可がプシェミスル朝オタカル2世によって出されます。
この許可に基づき実際に建設されたのは1410年から1411年に架けてです。最初の建物は木造建築物でした。
この建物は1417年に消失します。
1420年に石造建築物建設が始まり完工したのは1443年です。
1474年に3階部分建て増し工事を開始し1488年に完工します。
その後数回改築が行われ1901年から1904年に架けて行われた改修工事により現在のロマネスク様式の姿となります。

◎Petrášův palácペトラーシュ宮殿
大広場の西側面にはペトラーシュ宮殿があります。
同宮殿はオロモウツ市を襲った1709年の大火後にPetrášováペトロショバー婦人が焼け跡を買い取り1725年から1734年にかけバロック様式建築物を建設したのが始まりです。
その後内装工事を施し1746年に彼女の息子が宮殿としてオープンします。
1875年Jana a Lucie Ottahalovýchオッタロ家のヤナとルチエの手に渡り内装はネオ・ロココ様式に変えられます。
現在国宝に指定されています。

◎Ariónova kašnaアリオン噴水
ペトラーシュ宮殿直ぐ横にはアリオン噴水が見えます。
この噴水は1997年にオロモウツ市を襲った大洪水後に水に浸かった大広場の修復工事の祭に新たに作られた噴水です。
洪水災害の修復工事だけあり水と共存をテーマにギリシャの詩人でイルカ伝説を持つアリオンをテーマに作られました。
2005年衛生局よりプールとしての使用許可を得、チェコで唯一遊泳場としての許可を得た噴水で、夏に成ると子供達が水遊びする微笑ましい姿が見られます。
チェコでは他の噴水でも水遊びをする子供を見かけますが、アリオン噴水以外は遊泳場としての許可を得ていないので、警官は水遊びしている子供を見つけると排除しています。

◎Sloup Nejsvětější Trojice三位一体スロープ [世界遺産]
アリオン噴水から上広場の北西側に向かいましょうユネスコ世界遺産の三位一体スロープがあります。
同スロープは高さ35㍍、先頭部に銅に金メッキを施した三位一体の像、その下にマリア様被昇天像、その他聖人像やレリーフなどが飾られ、最下層には礼拝堂が有ります。
同スロープは1716年にVáclav Renderヴァーツラフ・レンダー指揮下に建設が始められますが、彼は第二層部分までを完成させ他界します。レンダー没後も建設は引続かれ1854年に完工します。
同スロープ聖別式には当時の宗主国オーストリー帝国のMarie Terezieマリア・テレジア女帝とその夫Františka I. Lotrinskéhoフランツ1世ロートリンゲン公が臨席しています。

◎Merkurova kašnaメルクリウス噴水
さて上広場を後にし8. května5月8日通りに向かいましょう。そこには1727年に建てられたメルクリウス噴水があります。

◎Kostel sv. Mořice聖モーリス教会
メルクリウス噴水から更に東へ8. května5月8日通りを進むと聖モーリス教会が現れます。
この地には古くから教会があった様で1257年には文献に登場します。
1412年に北側尖塔工事が始まります。1483年には教会建設は完了します。
その後教会建物は数度増改築を繰返し18世紀にはバロック様式の現在の姿となります。

◎Bezručovy sadyベズルチ公園
さて中心地の主な見所を見た後、いっきにベズルチ公園へ赴きましょう。
緑豊な公園から旧市街を取囲む中世に建てられた防御壁をご覧ください。
現存する防御壁を示す地図。

◎Svatý Kopeček聖なる丘修道院
それでは旧市街から約7㌔はなれた聖なる丘修道院へ向かいましょう。
1629年から1632年に架けJan Andrýsekヤン・アンドリーシェックが小聖堂を建設し献堂します。
1643年にスイス軍により小聖堂は破壊されます。
1650年から1660年にかけ小聖堂が再建されます。
1669年から1679年に架けpoutní chrám Navštívení Panny Marie聖マリア訪問教会が建てられます。
その後1714年から1721年に架けてと1718年に増改築が行われ現在の姿と成ります。
1995年にJana Pavel II.ヨハネ・パウロ2世教皇が訪問しバジリカ教会へと格上げされます。

上記でご紹介した見所全てを紹介順番通りにビジュアル映像でお楽しみいただけます。

◎YouTubeで見つけたオロモウツ市紹介ビデオ。
Olomouc - gorgeous Czech destination

Olomouc main square


<リンク>
オロモウツ市役所
オロモウツ市旅行ガイド
オロモウツ-ガイド(日本語での案内もあります。)
オロモウツ大司教管区博物館/オロモウツ現代芸術博物館
パラツキー大学
時計台-現在の様子(ウエブ・カメラ)
三位一体スロープ-現在の様子(ウエブ・カメラ)

<旅のヒント>
Olomoucオロモウツ市中心からSvatý Kopeček聖なる丘へはOlomouc,,hl.nádr.オロモウツ本駅バス停よりOlomouc,Svatý Kopeček,ZOO オロモウツ聖なる丘、動物園行きバスにご乗車ください。所要時間片道約18分。

プラハ市からオロモウツ市へは
鉄道の場合はPraha hl.n. プラハ本駅から直通電車が運行されています。所要時間片道約2時間42分。
バスはPraha,,ÚAN Florencプラハ・フローレンツ・バスターミナルから直通バスが運行されています。所要時間片道約3時間45分。

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<更新暦>
2009年07月19日、第一編集終了。