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2010年3月9日火曜日

Zlínズリーン町

チェコでバーチャ経営学に出会い、同経営学に非常に興味を持ち、同経営学を研究することをライフ・ワークとしていました。
当然、バーチャ発祥の地ズリーン町には何度も訪れました。

<町概略>
ズリーン県ズリーン郡の中心都市である同町は、製靴バーチャの創業者バーチャが製靴工場を創業した後飛躍的に発展しました。
製靴バーチャが会社登録した1 894年迄人口3千人を超えることは無かったそうです。
従いまして19世紀までの歴史的遺産は無に等しく、製靴バーチャと共に発展したチェコスロバキアの近代史を探索する町です。
製靴バーチャの飛躍的成長とともに、空想社会主義者であったバーチャは自身の夢見る社会主義社会的町の建設を行いました。
今に残るバーチャ住宅と言う住宅郡がその象徴です。
製靴バーチャは全従業員を一つの家族に見立て、家族(従業員)の衣食住、更には娯楽にまで面倒をみました。
1923年にはバーチャ自身がズリーン町長に選出され、従業員以外の住民をも家族と見立て町を発展させ、3千人に満たなかった町は彼が亡くなる1932年には約3万5千人にまで急成長しました。
1944年ズリーン町は連合軍の爆撃に遭い製靴バーチャは1945年に国有化されました。
共産主義政権が成立した翌年1949年1月1日に初代共産主義政権大統領クレメント・ゴットヴァルドにちなんで町名をゴットヴァルドフと変えられました。
その後ゴットヴァルドフ県成立と共にその県庁所在地となりましたが、1960年地方自治体改組に伴いゴットヴァルドフ県は南モラビア県の一郡に降格し、ゴットヴァルドフ郡となりました。
共産党政権が崩壊した翌年に町名をゴットヴァルドフ町からズリーン町に戻されると共に、郡名もズリーン郡とされました。
そして2000年の地方自治体改組に伴いズリーン郡は、南モラビア県から独立しズリーン県へ昇格しその県庁所在地となりました。

<主な見所>
◎Baťův mrakodrapバーチャの高層ビル
左の写真は2000年7月10日に同町を訪れた際sに撮影した写真です。この高層ビルは製靴バーチャ本社ビルとして1938年に建てられました。
建てられた当時はチェコスロバキアで一番高い高層建築物で17階建て77,5メートル有るそうです。現在は2004年に大改装を終えた後ズリーン県県庁として利用されており、今でも町のシンボルとして活躍しています。
私が訪れた2000年は当時所有権を有していた元国営製靴工場が倒産したことにより、所有権が不明確で一階がバーチャ博物館として利用されていましたが、その他の部分は廃墟でした。


Baťův mrakodrap ( HiVR )
Baťův mrakodrap ( HiVR ) II.
Pohled z ulice Dvacáta, J.A.Bati
před budovou
Třída Tomáše Bati
Výhled
výhled II.

・YouTubeで見つけたバーチャの高層ビルからの眺め。
zlin from bata's skyscraper


◎Hotel Moskvaホテル・モスクワ
その次はnáměstí Práce労働広場に聳え立つ11階建てのHotel Moskvaホテル・モスクワです。
バーチャにより1932年に建設されホテルです。

◎Velké kino大映画館
またホテル・モスクワ前に有るバーチャ従業員の娯楽提供を目的として1932年に建設されたVelké kino大映画館も有名です。
現在の観客席数は1,010席ですが建設された当時は2,500席有りチェコスロバキアで一番大きな映画館でした。今でも続くズリーン映画際はこの映画館が建設された事を機に始められた行事です。

・YouTubeで見つけた1941年ズリーン映画祭の記録フィルム。
Filmové žně ve Zlíně (1941)


◎Zámek Zlínズリーン城
城は16世紀に要塞をお城に改築して建てられました。
1777年にバロック様式の現在の姿へと改築されます。
現在Muzeum jihovýchodní Moravy a Krajská galerie výtvarného umění南東モラビアと造形物ギャラリー博物館として利用されています。
同城前に広がる町民憩いの場として解放されている庭園が綺麗です。

◎YouTubeで発見した町の観光案内ビデオ。
The city of Zlin


◎YouTubeで見つけた町のプロモーションビデオ。
My town - Summer in Zlín CZ 2005 (HQ)

My town - Winter in Zlín CZ (HQ)


◎YouTubeで見つけた製靴バーチャ創業者の映像。
方言丸出しで話しています。
Nebojme se budoucnosti


◎YouTubeで見つけた1922年製靴バーチャの様子。
Zlín 1922 - záběry továrny T.& A. Baťa


◎YouTubeで見つけた1927年の製靴バーチャ従業員が祝うメーデー。
1. máj ve Zlíně - 1927


<リンク>
・ズリーン町役場
・ホテル・モスクワ
・南東モラビアと造形物ギャラリー博物館

<旅のヒント>
プラハ市から訪れる場合は
Praha,,ÚAN Florencフローレンツ駅から直通バスが運行されています。
ブルノ市からは
Brno,,ÚAN Zvonařkaズボナシュカ駅から直通バスが運行されています。
*鉄道はプラハ市からもブルノ市からも乗換が必要なのでバスでの訪問をお勧めいたします。

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<更新暦>
2009年05月17日、第一編集終了。

2010年3月8日月曜日

Vsetínフセティーン村

フセティーン村には何度も訪れていますが、皆様にご紹介できる写真が有りません。
と申しますのも現在付き合っている彼女の出身地でして、彼女の写真ばかり撮っていますので村を紹介する写真が無いのです。
申し訳なし。

<村概略>
ズリーン県フセティーン郡の中心都市である同村は、人口27 963 (2007年12月31日現在)人のこじんまりとした村です。
1297年に水車小屋と教会が有る集落として文献に紹介されます。
村の発展は19世紀の工業化まで待たねば成りません。

フセティーンはValašské Meziříčíバラシュスケー・メジジーチと並ぶ綺麗な民族音楽・衣装を誇る村で現在も有名です。

<主な見所>
◎Vsetínský zámekフセティーン城
現在はMuzeum regionu Valašskoバラシュシュキー地域博物館として利用されています。
1464年に要塞を建築します。
1600年ごろ要塞をルネッサンス様式のお城として建替えます。
1833年から1834年の大改築工事を経て現在の容姿となります。
1915年に火事に遭いますが、改修工事を経て現在に至ります。
お城尖塔からの眺めが雄大で素敵です。
Nádvoří
Park
Pohled z věže

◎Horní náměstí上広場
お城と新村役場に挟まれた歴史的広場です。

◎Nová radnice新村役場
現在はレストランとホテルとして利用されています。
正面外壁の飾りが美しいネオ・ルネッサンス様式の新村役場は1898年から1899年に架け建設されました。

◎Stará radnice旧村役場
1708年に最初の木造村役場は火事で焼失しました。
1720年から1721年に旧村役場は建設されました。
1850年に改装工事が施され尖塔が増築されました。
現在はギャラリーとして利用されています。

◎kostel Nanebevzetí Panny Marie聖母マリア被昇天教会
元々はお城として建設されていましたが、完成前の1683年に教区教会として利用する為にカトリック教会に寄贈されました。
1689年に教会は完成し、19世紀に尖塔が増築されました。

◎Evangelický kostel Dolního sboru下組プロテスタント教会
モラビア地方にしては珍しい大きなプロテスタント教会です。
1782年に建設され、19世紀に現在のネオ・ゴシック建築物に大改装されました。

◎Dolní náměstí下広場
村で一番の繁華街です。

◎YouTubeで見つけたVsetinとその周辺を案内した国営テレビのビデオ。
Šumné Valašsko #1 - Vsetín a Jablůnka

Šumné Valašsko #2 - Vsetín a Jablůnka

Šumné Valašsko #3 - Valašské Meziříčí

Šumné Valašsko #4 - Valašské Meziříčí


◎地元テレビ局がフセティーン村各地でインタビューしているの映像。
同村各地の様子が伺えます。
Modlitby 24-7 Vsetin


Anketa Interupce - Klubáč Vsetín


<リンク>
・バラシュシュキー地域博物館
・民族音楽グループVsacanフサチャン
・民族音楽グループJASÉNKAヤセーンカ

<旅のヒント>
*鉄道
ブルノ市からは
Brno hl.n. ブルノ本駅からHranice na Moravě フラニツェ・ナ・モラベェ乗り換えフセティーン駅下車。
プラハからは
Praha hl.n.プラハ本駅から直通列車が運行されています。
*バスは本数が少ないので鉄道での訪問をお勧めします。

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<更新暦>
2009年5月16日、第一編集終了。(フセティーン村を全面改訂し当ブログで紹介。)
2009年5月11日クロメジジュ村、フセティーン村を分離し当ブログに移転。
2008年9月28日フォト・アルバムのコーナーにupしていたクロメジジュ村、フセティーン村を旅行した際に撮影した写真のリンクを当ブログにて紹介。
2007年5月2日に2007年4月28日~5月1日にかけてクロメジジュ村、フセティーン村を旅行した写真をフォト・アルバムにup。

2010年3月3日水曜日

Prostějovプロスチェイオフ村

Prostějovプロスチェイオフ村と云えばチェコ人だったらOP Prostějovオー・ペー・プロスチェイオフと云う縫製工場を想像するのではないでしょうか?
チェコ人は世界のファッションをリードし、世界中の人々が同社製の服に憧れ、世界中のファッション・デザイナーが同社のデザインをコピーし、遂にはダサい服しか作れない日系企業が同社のデザインを真似するために同村へ進出ていると勘違いしているほどの有名な会社です。
因みにOPとは同社の登記上社名Oděvní podnik, a.s.洋服会社(株)の略です。

では世界のファッション界をリードしているかも知れないOP ProstějovのコマーシャルをYouTubeで発見したのでご覧ください。
OP Prostejov Multimedia Presentation


OP PROSTĚJOV - focení produktů, podzim - zima 2009 / 10


<村概略>
オロモウツ県プロスチェイオフ郡の中心都市である同村は1141年には文献に登場します。1390年に都市と指定されます。
フス派戦争の際はあっさり防護壁を破られ村は略奪の対象とされ荒れ果てます。
1495年に再度村を守る防護壁建設が始まります。
1521年から1538年に架け村再建のシンボル村役場が建設されます。
16世紀後半からリヒテンシュタイン家が同村の城主として赴任してきます。
1527年にはモラビア初の印刷工場がお目見えします。
30年戦争の最中1697年大火に見舞われ再度村は荒廃します。この大火後、村の建物はバロック様式建築物を中心に再建されます。
1858年にMandlマンドル兄弟により最初の縫製会社が設立され以後服飾産業が盛んとなり、(チェコ人に言わせると)世界のファッションをリードするまでに成長します。
この頃より村の様子は様変わりし懐古主義的な建物やセセッション様式建物が増えて行き現在の姿になります。

<主な見所>
◎Zámek Prostějovプロスチェイオフ城
同村の旅をお城から始めましょう。
お城は1522年から1526年に架けて最初の建物が建てられます。
30年戦争でお城は崩壊し、残った部分を16世紀から17世紀に架けて牢屋として利用されます。
しかしスウェーデン軍が徹底破壊しました。応急修理はされたものの再建されず倉庫やユダヤ人収容所として使用されます。
19世紀後半にChmelařフメラージュ家が城を購入し文化センターとして甦ります。その後プロスチェイオフの地元貯金局の手に渡り大改装されます。その後現在は村役場の一部として利用されています。

◎nám.T.G.Masaryka T.Gマサリク広場
ではお城を後にし村の中心広場に向かいましょう。
広場東側に1973年に建てられた近代的建物(スーパー)が景観を壊し残念な気がしますが、それを差し引いても歴史を感じさせる素晴らしい広場です。

◎Nová radnice 新村役場
お城からT.Gマサリク広場に入って直ぐの所に広場のシンボル的建物となった新村役場が有ります。
新村役場建物は1914年に完成しました。
高さ66㍍有る尖塔は建物の中心に建設される予定でしたが、村は建物中央・左部分の土地を手当て出来たのみで右側は購入出来なかったので中心と左部分のみが建設され、右側部分は建設されないまま現在に至っています。

◎morový sloup Panny Marie ペスト克服マリア様スロープ
新村役場からT.Gマサリク広場中心に向かって行くと、1714年にペスト克服を記念して建てられたマリア様スロープは同広場の守護として村民に親しまれています。

◎Stará radnice旧村役場
マリア様スロープを後にして更にT.Gマサリク広場を探索しましょう。新村役場を背にして右側に旧村役場が見えます。
旧村役場は1521年から1530年にかけ建てられました。1697年に火災に遭いバロック様式の建物に建て替えられます。新村役場が完成する20世紀初頭まで村役場として利用されていました。
その後プロスチェイオフ博物館として生まれ代わり現在に至っています。
同博物館ではこの地方の古い生活様式や民族衣装を紹介する常設展示も有ります。

◎Národní dům v Prostějově国民の家
T.Gマサリク広場を後にしてVojáčkovo nám.兵隊さん広場に向かいましょう。
そこには1905年から1907年に架けて建てられた多目的村民ホール”国民の家”があります。
映画、オペラ、コンサート上演と村民の文化活動を担っています。

◎Městské hradby要塞
私が同村を訪れた2006年夏に駐車場に車を留め、中心地見学を終え”国民の家”見学後に要塞跡に向け進むとそこには信じられない光景が、、、
そうです当時所有していた私の車がニッコリ笑っていたのです。自分が車を留めた駐車場の壁こそ村を守る要塞跡だったのです。
村を守ってきた要塞は 1865年以後少しずつ壊されとうとう駐車場の壁と成り果てていたのです。
正に歴史と共存です。

◎YouTubeで見つけた同村案内ビデオ。
Prostějov


<リンク>
・プロスチェイオフ村役場
・プロスチェイオフ博物館
・オー・ペー・プロスチェイオフ社
・プロスチェイオフ現在の様子(ウエブ・カメラ)

<旅のヒント>
Praha hl.n. プラハ本駅より直通列車が運行されています。所要時間片道約4時間53分。

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<更新暦>
2009年07月21日、第一編集終了。