Olomoucオロモウツ市は私の好きな都市の一つです。
チェコに来た1993年末から1995年までStátní Jazyková Škola v Prazeプラハ語学塾で日本語の先生をしていた事があります。
その時、同市のパラツキー大学哲学部アジア学科日本語科で教鞭をとる日本人教師から生徒さんたちとハイキングをする誘いを受け同市を赴いたのが最初の訪問です。
モラビア地方に日本人は殆ど住んでいなく日系企業も皆無で、大学を卒業しても日本関連の仕事に付くなどと言う事は絶望的だった当時の生徒さん達は、心の底から日本と言う国が好きで日本を学びたい一心で学んでいる熱心さがありました。
なぜ彼らは得にもならない事にそこまで真剣になるのかと感激するとともに、純粋な彼らの心を育んだオロモウツ、そしてモラビアと言う地方に興味が湧き、以来モラビア・ファンになりいまだにモラビアが大好きでとうとうブルノ市に引越ししました。
見つけた彼女もモラビアの女の子です。
(ここで言うモラビア地方とはオロモウツ県、ズリーン県、南モラビア県の3県を合わせた、所謂オーストリー帝国時代のモラビア地方です。)
では今回はモラビア・ファンになる切っ掛けを作ってくれたオロモウツ市を訪問しましょう。
<市概略>
オロモウツ県オロモウツ郡の中心都市である同市は、伝説によると古代ローマ帝国の拠点が置かれていたとの事です。
7世紀には集落が形成されて大モラビア帝国の重要都市の一つで有った事が解っています。11世紀には文献に登場しお城も建設されます。
1063年に司教座が置かれキリスト教の中心都市として発展してゆきます。またこれが仇となり共産党政権時代は軍の施設が置かれたり、歴史的時計台を共産党のシンボルとして作り変えられるなどと言う目にも遭います。
13世紀には王家の都市と指定されます。17世紀に30年戦争で疲弊した同市はモラビア王国の首都としての役目をブルノ市に譲ります。
歴史的街並みの建設は11世紀に始まり19世紀に完成します。
Sloup Nejsvětější Trojice三位一体スロープ が2000年にユネスコ世界遺産に登録されました。
<主な見所>
◎Václavské náměstíヴァーツラフ広場
ではオロモウツ市中心地見学をヴァーツラフ広場から開始しましょう。
◎Katedrála svatého Václava 聖ヴァーツラフ司教座教会
さてヴァーツラフ広場には聖ヴァーツラフ司教座教会が聳え建っています。
同教会の建設は1107年には始まり1131年に完成しましたが、1204年の大火後にゴシック様式建築物に改装されました。その後数回の増改築を経て19世紀には現在の姿になりました。
荘厳な内装。
◎Románský biskupský palác (Přemyslovský palác)ロマネスク司教宮殿(プシェミスル宮殿)
聖ヴァーツラフ司教座教会横にロマネスク司教宮殿(プシェミスル宮殿)が有ります。
元々はプシェミスル王朝時代の貴族Svatoplukスバトプルク家が12世紀に同家城の隣に建設寄贈した司教館でした。17世紀後半から18世紀初頭にかけ後期ゴシック様式に改築されます。
現在同宮殿は管理をオロモウツ大司教管区博物館に委ねられ、同博物館見学コースの一つとなっています。
◎ARCIDIECÉZNÍ MUZEUM OLOMOUCオロモウツ大司教管区博物館
またヴァーツラフ広場にはオロモウツ大司教管区博物館があります。
同博物館は2006年にオープンしたカトリック教会とチェコ文化庁との共同運営博物館で主にオロモウツ市の歴史/キリスト教史に関する展示をしています。
・同博物館公式サイトで見つけた同博物館紹介ビデオ(チェコ語)。
Milostný obraz Panny Marie Zašovské Restaurování 2007 - 2008
ザショウフスキーの聖母マリア慈愛画2007-2008年復元の様子
Kočár biskupa F. J. Troyera Restaurování 2004 – 2006
2004-2006年トロイエル司教馬車復元の様子
Ke slávě a chvále
栄光と賞賛
Monstrance Zlaté slunce Moravy Restaurování 2005
モラビア黄金陽の聖体顕示台2005年復元の様子
Expozice I. 展示I
Expozice II. 展示II
Expozice III. 展示III
Expozice IV. 展示IV
Expozice V. 展示V
Expozice VI. 展示VI
Expozice VII 展示VII
◎Arcibiskupský palác司教館
さてヴァーツラフ広場を南に下りBiskupské náměstí司教広場に向かいましょう。
そこには30年戦争後の再カトリック化時代の1665-1685年に建てられたバロック様式の館です。
1777 年に同館はスウェーデン軍に占拠され政治の舞台となった事もあります。また1848年ウィーン三月革命の際にはフェルディナント1世皇帝がこの館へと逃れました。
◎Kašna Tritonůトリトン噴水
司教館を後にしnáměstí Republiky共和国広場に向かいましょう。
1709年に建てられたバロック様式のトリトン石造噴水があります。
◎Muzeum moderního umění現代芸術博物館
共和国広場からDenisovaデニス通りに入って直ぐのところに現代芸術博物館があります。
・同博物館公式サイトで見つけた同博物館紹介ビデオ。
Záznam besedy na vernisáži výstavy Listování 1. část
展示リスト作成会議録1
Záznam besedy na vernisáži výstavy Listování 2. část
展示リスト作成会議録2
Záznam besedy na vernisáži výstavy Listování 3. část
展示リスト作成会議録3
Workshop s Michaelem Rittsteinem
ミハル・リトステインとのワークショップ
◎Jezuitský konviktuイエズス会多目的ビル
現代芸術博物館をご覧頂いた後Univerzitní大学通りに向かいましょう。
そこには現在パラツキー大学芸術センターとして利用されている1660年から1667年に架けて建設されたバロック様式のイエズス会多目的ビルが有ります。
前世紀には同多目的ビルをČeskoslovenské armáděチェコスロバキア軍が利用していました。90年代に入り軍に替り大学が利用する事になります。
◎Kaple svatého Jana Sarkandra (Olomouc)聖ヤン・サルカンドラ教会
イエズス会多目的ビルと目と鼻の先に聖ヤン・サルカンドラ教会が建っています。
元々この地に15世紀に建てられた刑務所が有りました。その刑務所で1620年にサルカンドラ神父(1576 – 1620)が殉教した場所でも有ります。
サルカンドラ神父は1619年にポーランドのチェンストホーバーに巡礼の旅に出ました。この時にPopel z Lobkovicロブコヴィツのポペルから聞いた告解の内容を漏らすようFerdinandフェルディナンド皇帝から強要され同刑務所に収容され拷問刑を受けましたが、告解の内容を洩らしてはならないと言うカトリック教会の掟を守り殉教したのです。
18世紀にサルカンドラ神父が殉教した辺りに同神父に奉げる教会が建てられます。1909年から1910年に架け建て替えられ現在の姿と成ります。
1995年にヨハネ・パウロ2世教皇が同教会を訪れサルカンドラ神父を聖人であると宣言し以後同教会は聖人教会となります。
◎Kostel sv. Michala聖ミハエル教会
聖ヤン・サルカンドラ教会の後ろにはドミニカ修道会修道院に属する聖ミハエル教会が聳え立ちます。 13世紀に最初の教会建物が建てられます。30年戦争で同教会は痛めつけられ1673年から1699年に架け大改修工事を行いバロック様式建築物に姿を変えます。18世紀前半に大修復工事が施され現在の姿と成ります。
また修道院部分建物は19世紀に神父のセミナー用建物へと利用目的を変えます。
◎Jupiterova kašnaジュピター噴水
聖ミハエル教会を後にしDolní náměstí下広場に向かいましょう。
同広場にはジュピター石造噴水が有ります。同噴水のジュピター像は1735年に以前のsv. Floriána聖フロリアン像と入れ替えられています。
◎Mariánský sloupマリア様スロープ
下広場の真ん中辺りにマリア様スロープがあります。
1714年から1716に架けモラビア地方を襲ったペスト克服を記念して1715年から1723年に架けて建設されたスロープです。
1995年に国宝指定されています。
◎Neptunova kašnaネプチューン噴水
下広場北西側にネプチューン噴水があります。同噴水はオロモウツ市で最も古い噴水で1683年に建設されています。
◎Horní náměstí上広場
さて下広場見学を終えいよいよ総本山である上広場に向かいましょう。
◎Caesarova kašnaシーザー噴水
下広場から上広場に向かうと先ず目に付くのが1725年に建設されたGaius Iulius Caesar ガイウス・ユリウス・カエサル石造噴水です。同噴水はオロモウツ市で一番高い噴水です。
◎Edelmannův palácエデルマン宮殿
上広場北側面にはエデルマン宮殿が有ります。
この宮殿にはオロモウツ市初の映画館が有った事でも有名で、長い間オロモウツ市民の文化センターとして親しまれていました。
同建築物はVáclav Edelmannヴァーツラフ・エデルマン市長が1572年から1586年に架けて建設したと言われていますが確実な記録が無いので定かでは有りません。しかしこの頃建設された事は間違い有りません。
1867年から1871年に架け大修復工事が施されています。
1719年に迎賓館として利用する目的で市が買い取ります。
1908年にオロモウツ市初の映画館が同宮殿内にオープンします。
◎Herkulova kašnaヘラクレス噴水
ヘラクレス噴水はオロモウツ市で二番目に古い石造噴水で1687年から1688年に架け現在三位一体スロープが建っている場所に建設されました。
三位一体スロープ建設に伴い1716年に現在の場所へ移されました。
◎Orloj時計台
大広場の中心地に聳え立つ市役所建物のヘラクレス噴水前辺りに時計台があります。
1419年から1422年に架けて最初の時計台が作成されました。1474年に最初の改修工事が行われます。
第二次世界大戦で壊された同時計台は共産党政権によりモチーフを社会主義リアリズムの時計台へと作り変えられ現在に至ります。
社会主義リアリズム以前の姿。
・YouTubeで発見した時計台を紹介ビデオ。
Dělnický orloj zaplatí kasino
communistic astronomical clock
Olomouc Astronomical Clock
◎Radnice市役所
では時計台が建っている市役所の見学をしましょう。
1378年に市役所建設許可がプシェミスル朝オタカル2世によって出されます。
この許可に基づき実際に建設されたのは1410年から1411年に架けてです。最初の建物は木造建築物でした。
この建物は1417年に消失します。
1420年に石造建築物建設が始まり完工したのは1443年です。
1474年に3階部分建て増し工事を開始し1488年に完工します。
その後数回改築が行われ1901年から1904年に架けて行われた改修工事により現在のロマネスク様式の姿となります。
◎Petrášův palácペトラーシュ宮殿
大広場の西側面にはペトラーシュ宮殿があります。
同宮殿はオロモウツ市を襲った1709年の大火後にPetrášováペトロショバー婦人が焼け跡を買い取り1725年から1734年にかけバロック様式建築物を建設したのが始まりです。
その後内装工事を施し1746年に彼女の息子が宮殿としてオープンします。
1875年Jana a Lucie Ottahalovýchオッタロ家のヤナとルチエの手に渡り内装はネオ・ロココ様式に変えられます。
現在国宝に指定されています。
◎Ariónova kašnaアリオン噴水
ペトラーシュ宮殿直ぐ横にはアリオン噴水が見えます。
この噴水は1997年にオロモウツ市を襲った大洪水後に水に浸かった大広場の修復工事の祭に新たに作られた噴水です。
洪水災害の修復工事だけあり水と共存をテーマにギリシャの詩人でイルカ伝説を持つアリオンをテーマに作られました。
2005年衛生局よりプールとしての使用許可を得、チェコで唯一遊泳場としての許可を得た噴水で、夏に成ると子供達が水遊びする微笑ましい姿が見られます。
チェコでは他の噴水でも水遊びをする子供を見かけますが、アリオン噴水以外は遊泳場としての許可を得ていないので、警官は水遊びしている子供を見つけると排除しています。
◎Sloup Nejsvětější Trojice三位一体スロープ [世界遺産]
アリオン噴水から上広場の北西側に向かいましょうユネスコ世界遺産の三位一体スロープがあります。
同スロープは高さ35㍍、先頭部に銅に金メッキを施した三位一体の像、その下にマリア様被昇天像、その他聖人像やレリーフなどが飾られ、最下層には礼拝堂が有ります。
同スロープは1716年にVáclav Renderヴァーツラフ・レンダー指揮下に建設が始められますが、彼は第二層部分までを完成させ他界します。レンダー没後も建設は引続かれ1854年に完工します。
同スロープ聖別式には当時の宗主国オーストリー帝国のMarie Terezieマリア・テレジア女帝とその夫Františka I. Lotrinskéhoフランツ1世ロートリンゲン公が臨席しています。
◎Merkurova kašnaメルクリウス噴水
さて上広場を後にし8. května5月8日通りに向かいましょう。そこには1727年に建てられたメルクリウス噴水があります。
◎Kostel sv. Mořice聖モーリス教会
メルクリウス噴水から更に東へ8. května5月8日通りを進むと聖モーリス教会が現れます。
この地には古くから教会があった様で1257年には文献に登場します。
1412年に北側尖塔工事が始まります。1483年には教会建設は完了します。
その後教会建物は数度増改築を繰返し18世紀にはバロック様式の現在の姿となります。
◎Bezručovy sadyベズルチ公園
さて中心地の主な見所を見た後、いっきにベズルチ公園へ赴きましょう。
緑豊な公園から旧市街を取囲む中世に建てられた防御壁をご覧ください。
現存する防御壁を示す地図。
◎Svatý Kopeček聖なる丘修道院
それでは旧市街から約7㌔はなれた聖なる丘修道院へ向かいましょう。
1629年から1632年に架けJan Andrýsekヤン・アンドリーシェックが小聖堂を建設し献堂します。
1643年にスイス軍により小聖堂は破壊されます。
1650年から1660年にかけ小聖堂が再建されます。
1669年から1679年に架けpoutní chrám Navštívení Panny Marie聖マリア訪問教会が建てられます。
その後1714年から1721年に架けてと1718年に増改築が行われ現在の姿と成ります。
1995年にJana Pavel II.ヨハネ・パウロ2世教皇が訪問しバジリカ教会へと格上げされます。
◎上記でご紹介した見所全てを紹介順番通りにビジュアル映像でお楽しみいただけます。
◎YouTubeで見つけたオロモウツ市紹介ビデオ。
Olomouc - gorgeous Czech destination
Olomouc main square
<リンク>
・オロモウツ市役所
・オロモウツ市旅行ガイド
・オロモウツ-ガイド(日本語での案内もあります。)
・オロモウツ大司教管区博物館/オロモウツ現代芸術博物館
・パラツキー大学
・時計台-現在の様子(ウエブ・カメラ)
・三位一体スロープ-現在の様子(ウエブ・カメラ)
<旅のヒント>
Olomoucオロモウツ市中心からSvatý Kopeček聖なる丘へはOlomouc,,hl.nádr.オロモウツ本駅バス停よりOlomouc,Svatý Kopeček,ZOO オロモウツ聖なる丘、動物園行きバスにご乗車ください。所要時間片道約18分。
プラハ市からオロモウツ市へは
鉄道の場合はPraha hl.n. プラハ本駅から直通電車が運行されています。所要時間片道約2時間42分。
バスはPraha,,ÚAN Florencプラハ・フローレンツ・バスターミナルから直通バスが運行されています。所要時間片道約3時間45分。
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<更新暦>
2009年07月19日、第一編集終了。
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