2010年1月12日火曜日

Tepliceテプリツェ町

日系自動車部品メーカーに勤めていたとき、社内の風通しが余りにも悪いので、少しでも風通しを良くしようと、テプリツェ町とその近郊から通っている人々を組織し、テプリツェ会を作りました。
私は当時プラハに住んでいましたが、この会生みの親と言うことで名誉会長に修まった関係で、何度も同町へ泊りがけで遊びに行きました。
その際撮影した写真を誤って紛失してしまったので皆様にご紹介出来ないのが残念です。

<町概略>
ウースティー県テプリツェ郡の中心都市である同町は Krušné horyクルシュナ山脈とČeské Středohoříチェコ中央山脈の間を流れるBílinaビーリナ川を中心に広がる平野に位置する有名な温泉地です。
カルロヴィー・ヴァリの次に規模が大きい温泉地です。
温泉が発見されたのは762年頃ですが、初めて温泉と認知されたのは16世紀です。
町が初めて文献に記載されたのは12世紀に、ボヘミア王ヴVladislav IIヴラディスラフ2世妃Juditaユディタがベネディクト修道会の修道女になって修道院を興した事を記録された文献です。
この修道院は15世紀のフス戦争で破壊されています。
テプリツェは1813年にナポレオン・ボナパルトに対する三国同盟(オーストリア帝国、ロシア帝国、プロイセン王国)締結の場所でも有名です。
テプリツェ町は過去『チェコスロバキアの小パリ』と呼ばれたこともありましたが、犯罪の増加と地域の失業率上昇から評判が落ちています。
主として中東からの観光客に人気がある温泉地で、一見して中東から訪れたと解る観光客があちらこちらにいます。

<主な見所>
◎Kolonáda u domu kultury文化会館前のコロナード
1987年に文化会館と共に建設されたコロナードは同町のシンボル的存在です。

◎Lázeňský sad 庭園
噴水、散歩道、ベンチ、フラワー・ポット、彫刻などが備わる同庭園は、温泉を訪れた観光客・湯治客の憩いの場を提供する為に、温泉が始まってから少しずつ整備された庭園です。

◎morový sloup Nejsvětější Trojice三位一体石柱
ペスト克服を記念し、1718年から1719年に架けて造られたバロック様式石柱です。

◎kostel Povýšení sv. Kříže聖十字架教会
城付属の教会は1549年から1568年に架け早期ルネッサンス様式の建設物が建てられます。
その後、17世紀の拡張工事によりロマネスク・ゴシック様式に様変わりします。
1950年より正教会が必要に応じて使用しています。
尖塔からの眺めが綺麗な教会です。

YouTubeで発見した聖十字架教会尖塔からの景色を撮影したビデオ。
Teplice - výhled z věže kostela na Zámeckém náměstí

Teplice - další pohled z věže kostela na Zámeckém náměstí


◎zámek Tepliceテプリツェ城
12世紀半ばにベネディクト女子修道院と共に建設された同城は、フス派戦争で同派に占拠されて以来廃墟と化していました。
1794年から1806年に架け同城は大修復工事を経て、現在の姿となりました。
現在は地域博物館として利用されています。

◎YouTubeで発見した同町案内ビデオ。
Teplice v Čechách


◎lázeňské sezóny v Teplicíchテプリツェ温泉祭り
毎年5月に開かれる温泉祭りは同町の名物としてチェコ中から観光客を集めています。
Zahájení 853.lázeňské sezóny v Teplicích


<リンク>
テプリツェ町役場
テプリツェ地域博物館
音声町案内(チェコ語)
テプリツェ町の現在(ウエブ・カメラ)

<旅のヒント>
鉄道の場合は
Praha hl.n. プラハ本駅もしくはPraha-Holešoviceホレショビッェ駅から直通列車が運行されています。 バスは
Praha,,Nádraží Holešovice ホレショビッェ・バスターミナルから直通バスが運行されています。
所要時間片道約1時間半。

ヨーロッパの温泉保養地を歩く  /阿岸祐幸/著 飯島裕一/著 [本]
ヨーロッパの温泉保養地を歩く /阿岸祐幸/著 飯島裕一/著 [本]


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<更新暦>
2009年5月22日、第一編集終了。

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