2009年12月1日火曜日

Plasyプラシ村

Plasyプラシ村はLázně Kynžvartラーズニェ・キンジュバルト村と同様、あのクレメンス・メッテルニヒの所領として有名です。

<村概略>
ピルゼン県北ピルゼン郡に属するPlasyプラシ村は、cisterciáckého klášteraシトー修道会と共に建設され、同会と共に発展した村であると言っても過言ではない村です。

1,144年にチェコ公国王VladislavIIブラディスラフ2世の許可により同修道会修道院が創設されました。
同村は何処の市町村にも属さず、かといって独立した行政区でもない曖昧な状態が長い間続きました。
1826年にMetternichメッテルニヒ家がこの地を領土として購入したのを切っ掛けに、鉄道が敷かれ工場が誘致されと地域は発展し1850年には独立行政区として初めての選挙が行われました。
鉄道時代はPlzeňピルゼン市とŽatecジャテツ村を結ぶ主要幹線として賑わいました。

さて一方の修道院も村の発展同様に修道院設立後フス戦争や30年戦争に見舞われ余り大きな発展は有りませんでした。
やはりMetternichメッテルニヒ家がこの地を領土として購入したのを切っ掛けに、同家の墓を守る教会(所謂、菩提寺)として同村の教会が選ばれ、修道院は同家の資金援助により飛躍的に大きく豊な修道院へと発展します。
1894年には火災に襲われたものの直ぐに修復されます。

修道院の悲劇は1945年にソ連軍事務所として接収されてから始まります。
1948年にソ連軍が修道院を去った後は国家接収され、国家機関の役所として使用され続けます。

村の発展も修道院同様Metternichメッテルニヒ家亡き後利益誘導型投資が無くなり、経済的には意味の無くなった鉄道路線の衰退で村も衰退してゆきました。

ビロード革命後修道院は修復され国宝指定され観光の目玉となるや、村も周辺温泉街と共に観光地として発展を始め現在に至ります。

<主な見所>
◎Metternichovská hrobkaメッテルニヒ家の墓地
同家墓地は、元々1690年に 建設されたゴシック様式のkostel sv. Václava聖バーツラフ教会でした。
この教会はその後廃止され、1826年にメッテルニヒ家が同家の墓地として買取りました。
1970年に教会スペースを葬儀場スペースとして改装されました。
Metternichメッテルニヒ家代々の墓がある地下。
葬儀場として使われている元聖堂。

◎cisterciáckého klášteraシトー修道会修道院
同修道院の概略は<村概略>を御覧ください。

YouTubeで見つけた同修道院を紹介するビデオ。   
KLASTER PLASY


◎Litiny博物館
この博物館は元々鉄工所でした。
19世紀にその役目を終えました。
現在は、メッテルニヒ家がもたらした同村伝統産業の鉄工芸品を紹介する博物館として利用されています。
Expozice Litiny展示
Expozice Litiny II.展示II

<リンク>
プラシ村役場
プラシ修道院

<旅のヒント>
プラハからは鉄道・バス共にピルゼン市で乗り換え同村行きに乗り換えます。
所要時間は2時間から2時間半です。

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<編集暦>
2009年6月23日、第一編集終了。

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