ラコブニーク村は本当に幻想的な村です。
<村概略>
中央ボヘミア県ラコブニーク郡の中心都市である同村は12世紀には文献に登場します。
しかし、この村を有名にしたのはフス戦争です。
イージー・ポジェブラット指揮下果敢に神聖ローマ皇帝軍に戦いを挑み連戦連勝したあのヤン・ジシュカ拠点の村になりました。
同戦争最終的にはフス派が負け村は崩壊する事になります。
その後ペスト流行、ナポレオン遠征軍の拠点となる等と災難が続き、長い間人が余り住みたがらない貧しい村として放置されていました。
ですが19世紀鉄道の時代となりプラハ-カルロビー・バリー間を結ぶ交通の要所として再び脚光を浴び現在に至ります。
同村隣村Luzna u Rakovnikaルズナ・ウ・ラコブニーカ村にはZeleznicni muzeum鉄道博物館が在り、鉄道全盛時代の同村とその周辺の繁栄振りを今に伺わせてくれます。
そう云った訳で中心地広場は19世紀初頭に立てられた建物が殆どだそうです。
<主な見所>
◎Husovo náměstíフス広場とNáměstí Jana Žižkyヤン・ジシュカ広場
中心地広場はHusovo náměstíフス広場とNáměstí Jana Žižkyヤン・ジシュカ広場と言う二つの広場から構成されます。
バロック建築物で構成される中心地広場の街並みは同村の自慢であり同村観光資産です。
歩き疲れたら中心地広場西側にある、同広場を一望出来るバロック建築が綺麗なレストランでコーヒーなど如何でしょうか?
YouTubeで見つけた幻想的な同広場夜景。
Noční Rakovník 2006
◎radnice Rakovník村役場
中心広場のシンボル。
1734-38年に架けて建築された時計台が印象的なバロック様式建築物の村役場。
◎Kostel sv. Bartolomějes聖バルトメイ教会とzvonice木造鐘塔
14世紀に建てられた教会は、1422年フス戦争で駄目になります。
1450年以後改修工事が施され1885年から1896年の大改装で現在の姿となります。
教会横の木造鐘塔は1495年に建てられたものです。
◎muzeum T.G.Mマサリク博物館
1781年に建てられたバロック様式の建物は、Plasyプラシ村のcisterciáckého klášteraシトー修道会に拠って建設されました。
修道会が廃止されて後、工場、レストラン、印刷工場、郵便局、救済宿等に使われていました。
1936年以後博物館として利用されています。
◎Pražská bránaプラハ門
村を守る要塞の東側門として1516年に建設されました。
1903年に大修復工事が施され現在の姿となります。
◎Vysoká brána高門
高さ46㍍のゴシック様式建築物の同門は、1519年から1522年に架け、村を守る要塞の北側門として建設されました。
現在は、地域カメラマンが撮影した写真を展示するギャラリーとして活躍しています。
高門から望む絶景です。
◎ YouTubeで発見した同村を訪れた方のビデオ
RAKOVNIK
◎同じくYouTubeで見つけた約100年前ラコブニークから発信された絵葉書の特集ビデオ。
当時如何に同村が繁栄していたかを伺わせてくれる資料です。
また村の様子は当時のまま残されており、絵葉書の絵と同じ光景を現在でも見つけることが出来ます。
Tisíc pozdravů z Rakovníka
<リンク>
・ラコブニーク村役場
・マサリク博物館
・ラコブニーク村の現在(ウエブ・カメラ)
<旅のヒント>
Praha,,Zličín ズリーチン・バスターミナルから直通バスが運行されています。
Praha-Dejvice デイビツェ駅から直通列車が出ています。
時刻表で調べる限り、バスの方が圧倒的に本数が多いようですので、バスでの訪問をお勧めします。
所要時間片道約1時間から1時間半。
ボヘミアガラス ラスカクラシック ダーマ 花瓶
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2009年05月29日、第一編集終了。
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