2009年10月27日火曜日

Mladá Boleslavムラダー・ボレスラフ村

Mladá Boleslavムラダー・ボレスラフ村はシュコダ自動車の本拠地として有名で、多くの日本人は同自動車会社発祥の建物を改装して利用している”シュコダ自動車博物館”を訪れ満足し他の名所を訪問せずに村を去っているようです。

<村概略>
では先ず村の簡単な歴史を紹介した後、主な同村見所をご紹介しましよう。
10世紀半ばボヘミア王ボレスラフ2世の王城として村が建設されました。既に別のボレスラフ村あったためムラダー(若い)と冠付けムラダー・ボレスラフと命名されました。15世紀にはもう一つのボレスラフ村はStará Boleslavスタラー・ボレスラフ(古いボレスラフ)と呼ばれるようになりました。
1895年にラウリン&クレメント(現シュコダ自動車)社が創業を開始し村は同社城下町として現在に至っています。
1945年5月9日朝10時にソ連軍が同村を爆撃しチェコ人約150名、ドイツ人約300名の死者を出す惨事に見舞われました。

<主な見所>
◎hrad Mladá Boleslavムラダー・ボレスラフ城
10世紀にゴシック建築様式のお城が建てられます。
その後、増改築が施されルネッサンス建築様式のお城となります。
1648年に崩壊しますが、18世紀に立て直され19世紀に現在の姿となります。
現在はMUZEUM MLADOBOLESLAVSKAムラダー・ボレスラフ博物館として利用されています。

Palác Templテンプル宮殿
テンプル宮殿と呼ばれる同建築物は、ムラダー・ボレスラフ村で最も古い建築物の一つです。
1488年から1493年に架け、テンプル騎士団の為に建築されたので、テンプル宮殿と今も呼ばれています。16世紀には貴族の館となり、その後数回の増改築を経、現在の姿となります。
現在は博物館として利用されています。
   
◎stará radnice旧市役所
ルネッサンス様式の旧市役所は、1554年から1559年にかけて建立され、1906年から1908年に改装されました。
外壁には聖書をモチーフにした壁画が描かれています。
   
◎kostel Nanebevzetí Panny Marie聖マリア被昇天教会
同教会の主な部分は1406年に建設されたゴシック様式です。
入口部分は18世紀に建設されたルネッサンス様式です。
   
◎nová radnice新市役所
1865年から1868年に架け建立されました。
   
◎Park緑の綺麗な公園
村民憩いの場で、天気の良い日は家族連れで楽しそうに公園を訪れるホノボノとした光景が見られます。
   
Škoda Auto Muzeumシュコダ自動車博物館
同自動車はオーストリア=ハンガリー帝国時代の1895年に共に自転車愛好家であった技師 Václav Laurinヴァーツラフ・ラウリンと本屋Václav Klementヴァーツラフ・クレメントが設立した自転車メーカーLaurin&Klementラウリン&クレメント社に遡る事が出来ます。
1899年に自転車に簡単なエンジンを付けただけのオートバイの生産を開始ししました。その後本格的オートバイの生産に資本を集中し成功を修める事になります。
次いで1905年に製造開始した同社初の自動車Voiturette AヴォイツレッテAが爆発的ヒットとなり1907年には株式会社組織に改組し同社は事業を拡大してゆきます。
1924年に発生した同社工場火事を切っ掛けに一時経営が苦しくなり新たなる共同経営者を探す事になります。
運良く兵器産業で名を成すシュコダ・コングロマリットが共同経営に名乗りを上げ同コングロマリット傘下に入り社名をシュコダ自動車へと変更しました。
第二次世界大戦が始まると、ナチス・ドイツ占領下のシュコダ・コングロマリットはドイツ軍の軍需品生産企業とされました。
大戦後にチェコスロバキアが共産主義国家化すると民間企業の国有化政策の一環からシュコダ・コングロマリット自動車部門は分社化され、国営企業・Automobilové závody, národní podnik(AZNP)社となりました。その後当時の共産主義政権の政策(タトラとの競合)からAZNP社は大衆車の開発・生産に注力し1960年代にはリアエンジンの小型車「1000MB」と「S100/110」が販売され人気を集めました。しかし1970年代以降に国の経済が停滞するとAZNP社の開発・生産力も落ち「1000MB」と「S100/110」の発展形が1990年代まで製造されることとなりました。ペレストロイカの影響による社会変化を受け、やっと1987年にAZNP社はイタリア・ベルトーネ社設計のFF車「ファヴォリット」(Favorit)を世に生み出しました。
ビロード革命後の民営化政策の枠組みが決まる前の1990年にチェコ政府はAZNP社株の大半をドイツ・フォルクスワーゲン社に売り渡し、1991年にAZNP社はシュコダ自動車としてフォルクスワーゲン傘下入りしました。

YouTubeで見つけた同社々史フィルム。
Skoda car history (1905-2008)


YouTubeで発見した同博物館の様子。
Škoda Auto Muzeum Mladá Boleslav 8.7.2007

Škoda Auto Muzeum Mladá Boleslav 8.7.2007


YouTubeで見つけたシュコダ自動車のコマーシャル。
Škoda Fabia Combi - reklama (Parašutista)


<リンク>
ムラダー・ボレスラフ村役場
ムラダー・ボレスラフ博物館
テンプル宮殿
シュコダ自動車
シュコダ自動車博物館
ムラダー・ボレスラフ村現在の様子(ウエブ・カメラ)

<旅のヒント>
バスでご訪問の際はPraha,,Černý Mostプラハ・チェルニー・モスト・バス停から直通バスが運行されています。
鉄道で訪問の際はPraha hl.n. プラハ本駅より直通列車が運行されています。
所要時間片道約1時間~1時間半。

ノレブ 1/43 シュコダ オクタビア
ノレブ 1/43 シュコダ オクタビア


ノレブ 1/43 シュコダ スペルブ
ノレブ 1/43 シュコダ スペルブ


[1/43]ラリー★モンテカルロ/2006年★SKODA FABIA WRC/No11/G.Panizzi・H.Panizzi【ixo[イクソ]】
[1/43]ラリー★モンテカルロ/2006年★SKODA FABIA WRC/No11/G.Panizzi・H.Panizzi【ixo[イクソ]】


[1/43]ラリー★テストカー/2005年★SKODA FABIA WRC【ixo[イクソ]】
[1/43]ラリー★テストカー/2005年★SKODA FABIA WRC【ixo[イクソ]】


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<更新暦>
2009年6月1日、第一編集終了。

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