2010年3月11日木曜日

Velehradベレフラッド村

Velehradベレフラッド村はカトリックのチェコに於ける総本山だと言えます。
無神論国チェコに何故このような立派な施設がと疑問を持つ方が多いのではないかと思います。
その答えは、同村がUherské Hradištěウヘルスケー・フラディシュチェ郡に属する事でご理解いただけると思いますが、同地区はキリスト教文化が色濃いハンガリー文化圏に属するからなのです。
(‘Uherské Hradištěウヘルスケー・フラディシュチェ‘とは”ハンガリー人の砦”と云う意味で、ハンガリー民族の飛び地だった事を物語っています。)

<村概略>
ズリーン県ウヘルスケー・フラディシュチェ郡に属する同村は、発掘調査によると石器時代には集落が形成されていたそうです。
伝説によると9世紀から13世紀に掛け栄えていたそうです。
同村はチェコで最も古いシトー会修道院が建てられた場所だと言われています。
1890年シトー修道会に替わりイエズス会が同地に居を構えます。
毎年チリルとメトダの日(7月5日)に盛大なミサが行われる事で有名です。

<主な見所>
◎Bazilika Nanebevzetí Panny Marie a sv. Cyrila a Metoděje処女マリア被昇天教会と聖チリルとメトダ教会
同村名”Velehrad巨大なお城”の由来と成っている建物です。実際にはお城と云うよりも巨大修道院です。
人口1323 人(2006年8月28日現)の村が独立した都市となれたのは同修道院のお陰だと言っても過言ではないでしょう。1927年に当時の教皇ピウス11世が、1985年と1990年にはヨハネ・パウロ2世が訪れました。まさにカトリック教会の聖地です。
旧宗主国オーストリーの皇帝が神聖ローマ帝国皇帝として君臨し、カトリックの擁護者で有ったことから、チェコにも多くの教会や修道院は有りますがドイツ・オーストリー系住民追放後は、いずれも祈る人が少ないこの伝統的無神論民族の地に於いて何故このような立派な建物がと疑問でした。
しかしこの地が、敬虔なクリスチャンであるハンガリー民族末裔の土地である事が解り理解出来ました。
1205年に教会建物が建てられました。その後フス戦争、30年戦争等の戦禍に見舞われ数々の増改築を経て1883年には現在の姿と成ります。
美しい内装の様子。

Velehrad 2008 - Moravské vlajky

velehrad 2008 activ8 - hosanna


◎Modrá野外博物館モドラー
石器時代の様子を再現した野外博物館です。

<リンク>
ベレフラッド村役場
カトリック教会ベレフラッド司祭室

<旅のヒント>
プラハ市、ブルノ市ともに直通便は出ていません。
Uherské Hradištěウヘルスケー・フラディシュチェ村からは直通便が出ていますので、同村を訪れた際に一緒に訪ねるのが便利かと思われます。
チェコスロバキアの民族衣装   [本]
チェコスロバキアの民族衣装 [本]


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<更新暦>
2009年09月17日、第一編集終了。

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