確か1990年代半ば頃に、その頃知り合ったBruntálブルンタール村出身の女学生(当時)の家を訪れる為に訪問しました。
真夏の暑い時に訪れたのですが、昼間でも半袖では肌寒く感じるくらいの山間部気候だったのを覚えています。
ポーランドのテレビやラジオが受信できる関係で、彼女の両親はチェコとポーランドの面白いテレビやラジオを視聴できるので楽しいと言っていたのが印象的ですね。
<村概略>
モラビア=シレジア県ブルンタール郡の中心都市である同村は、古くから鉱山都市として知られる同村は1210年にVladislav Jindřichブラディスラフ・インドジフ公により作られました。
チェコで最も古いマクデブルク法により都市として宣言された都市だと言われています。
産業革命以後は工業化され、工業都市としても村は発展して行きます。
しかし、所謂ズデーデン・ドイツ地方であった同村は住民の多くがドイツ系住民で、ナチス台頭後同村は数奇な運命を辿ることになります。
第二次世界大戦直後に出された非人道的ベネシュ宣言によりドイツ系住民は追放される運命となりました。
<主な見所>
◎Náměstí Míruミール広場
1715年にペスト克服を記念して建立された三位一体石柱を中心に戴いた同広場の夜景は幻想的でとてもロマンティックです。
◎Zámek Bruntálブルンタール城
同村観光の目玉です。
15世紀後半にゴシック様式建築物として建てられましたが、18世紀にバロック様式建築物に改装され現在の姿となりました。
Arkádové nádvoří 中庭
Zámecká knihovna 図書室
Interiéry zámku 内装
Reprezentační sály 社交場
Expozice řemesel 職工展
・YouTubeで見つけた同城案内ビデオ。
zámek bruntál
◎YouTubeで見つけた、地元ローカルTV局で放送された日本髪デザイン大会の様子。
Bruntál - kadeřnická a kosmetická soutěž Dukla Cup 2009
<リンク>
・ブルンタール村役場
・ブルンタール城
<アクセス>
プラハから電車で訪問の際はPraha hl.n.プラハ本駅からOlomouc hl.n.オロモウツ本駅でBruntálブルンタール行きに乗り換えるのが便利です。所要時間片道約4時間18分。
バスはPraha,,ÚAN Florencプラハ・フローレンツ・バスターミナルより直通バスが運行されています。所要時間片道約6時間47分。
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<更新暦>
2009年08月25日、第一編集終了。
2010年3月17日水曜日
2010年3月16日火曜日
Ostravaオストラバ市
オストラバ市を初めて訪れた時は随分寂れた街だなと思いました。
1994年には主要産業の一つである鉱山が閉山となり、失業率が高まった後に訪れたのですから、それもそのはずです。
貧しさの余り心は荒廃し、Sdružení pro republiku - Republikánská strana Československa共和曲協会-チェコスロバキア共和党(以下、共和党)、というジプシーやアジア人を差別する政党がこの地区から誕生し、 1992年から1998年年にかけ国会に議員を送り込む事態へと発展しました。
その後、現代自動車など外資が同市周辺に工場を建て貧困から抜け出し、何とか共和党支持は低下し、現在は国会に議員を送ることはなくなりました。
チェコ映画ファンであれば、同市を舞台に撮影された1984年製作”...a zase ta Lucie! (...あっ、マタあのルチィエ!)”を連想するのではないでしょうか?
この映画は児童向け映画で、小学校入学を直前にした可愛いLucieルチィエちゃんが、おじいちゃんと共にデパートを訪れた際に、ルチィエちゃんは欲しくてたまらない粘土を万引きします。
この万引きした粘土が小動物に化け繰り広げられるコメディーです。
...a zase ta Lucie! Část 9
<市概略>
モラビア=シレジア県の中心都市であるオストラバ市の名前は、Ostráオストラー川(現Ostraviceオストラヴィッエ川)に由来します。
18世紀後半まではオーストリア帝国辺境の地でしたが、1763年に石炭鉱脈が発見され、急速に工業化が始まりました。
1828年には後にロスチャイルド家の手に渡ったVítkoviceヴィートコヴィッエ製鉄所が創業します。
第二次世界大戦では空爆の対象と成ったりしましたが、石炭のおかげで1994年の炭鉱閉山まで同市は豊かな工業都市として発展しました。
鉱山閉山後、同市は荒廃し人々の心は荒んで行きましたが、2004年チェコのEU加盟を契機にモラビア地方への外国資本進出が進み、オストラバ市やその近郊に拠点を置こうとする外資が増加し、少しずつ豊さを取り戻しつつ有ります。
<主な見所>
◎Nová radnice (Ostrava)新市役所
オストラバ市のシンボル的存在の新市役所。
同市役所は1925年から1930年に架けて建てられました。
高さ80㍍有る同役所建物のは天候が悪くない限り公開されており、72㍍地点に位置する展望台から市内を一望出来ます。
◎Stodolní uliceストドルニー通り
オストラバの目抜き通り。
オシャレな飲屋・レストランが並ぶ、チェコ中で一番トレンディーな繁華街です。
たが為にスリも多いので気を付けてください。
このサイトで同通りを、地図とビジュアル映像で紹介しています。
◎Moravskoostravský hrad モラフスコオストラフスキー城
13世紀初め頃に司教、館として建てられましたが、今では城の面影は殆ど無く、19世紀と20世紀の変わり目に辛うじて残っていた建物の一部が保存されています。
◎Ostravské muzeum/Stará radnice オストラバ博物館/旧市役所
現在オストラバ博物館として地域の歴史を伝えている旧市役所は、1539年に最初の建物が建設されました。
1837年から1840年に架け老朽化した建物は最初の改修工事を受けました。この際、3階部分が増築され現在の姿に近い容姿になりました。
2004年から2005年には全面大改修工事が施されています。
また新市役所が建設された後の1931年より博物館として利用されています。
Vstupní chodba 入口ホール
Výhled z věže Ostravského muzea 尖塔からの眺め
Výstava - Ostrava, město neřesti オストラバの堕落展
Zvonice 鐘楼
◎Masarykovo náměstíマサリク広場
オストラバ市の中心広場。
1702年にペスト克服を記念して建てられたマリア様スロープ、そして噴水が印象的な広場です。
夜景は殊に幻想的で必見の価値ありです。
◎Expozice Miniuni - svět miniaturミニチュアの世界展示場
1,5㌶の敷地に約20ものミニュチュアが展示されています。
Big Ben ビッグ・ベン
Cheopsova pyramida ギザの大ピラミッド
Eiffelova věž エッフェル塔
Palác Akropolis アクロポリス宮殿
Výstava - světové mrakodrapy 世界の摩天楼展
◎Slezskoostravský hradスレスコオストラフスキー城
クラコフに向かう道の補給地として13世紀に同城が建てられます。
城の持ち主は移り変わり1714年にWilczkウィルツク家に渡り、以後1945年まで同家が所有します。
17世紀に城敷地内に炭鉱が発見されて以後、城は採炭のため徐々に壊されてゆきます。20世紀初頭より城建物を保護する動きが始まりましたが、1954年には城敷地が16㍍も陥没したほど採炭の影響は大きかった模様です。
Expozice - Historie hradu a města Ostravy 展示‐オストラバの城と街の歴史展
Expozice - Husitství 展示‐フス派運動展
Hradní galerie 城のギャラリー
Hradní galerie - Ostravská panoramata 城のギャラリー-オストラバのパノラマ展
Hradní pevnost - terasa, 1 城の防塁1
Hradní pevnost - terasa, 2 城の防塁2
Nádvoří 中庭
Obřadní síň 結婚式場
Sklep čarodějnic 地下室魔女展
Společenský sál 社交ホール
Vstup do hradní věže 城尖塔入口
◎Průmyslové muzeum - Národní kulturní památka Důl Michal産業博物館-国宝ミハル鉱
オストラバと言えば鉱山。
市中心地から少し離れていますが、現在産業博物館になっているミハル鉱を訪ねましょう。
Českobratorská通りのHusův sadフスーフ・サド・バス停から104番のトロリーバスに乗りMichálkoviceミハルコヴィッエ下車(所要時間片道約14分)すると目の前に現れます。
Důlní trafostanice 鉱山変電基地
Důlní základna 鉱山基地
Expozice báňského záchranářství 鉱山救援隊展
Historická část areálu 鉱山広場
Hlavní překop jámy Anselm アンセルン坑道
Podzemí - uhelný kombajn 石炭コンバイン
Řetízkárna チェイン保管場
<リンク>
・オストラバ市役所公式サイト
・オストラバ博物館/旧市役所
・ミニチュアの世界展示場
・スレスコモラフスキー城
・ストドルニー通りの現在(ウエブ・カメラ)
◎YouTubeで見つけた同市のプロモーション・ビデオ。
Ostrava City in Motion Czech
Ostrava City in Motion english
<アクセス>
プラハからはPraha hl.nプラハ本駅から直通列車が運行されています。所要時間片道約3時間49分。
またPraha,,ÚAN Florencプラハ・フローレンツ・バスターミナルから直通バスも運行されています。所要時間片道約5時間20分。
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<更新暦>
2009年08月23日、第一編集終了。
1994年には主要産業の一つである鉱山が閉山となり、失業率が高まった後に訪れたのですから、それもそのはずです。
貧しさの余り心は荒廃し、Sdružení pro republiku - Republikánská strana Československa共和曲協会-チェコスロバキア共和党(以下、共和党)、というジプシーやアジア人を差別する政党がこの地区から誕生し、 1992年から1998年年にかけ国会に議員を送り込む事態へと発展しました。
その後、現代自動車など外資が同市周辺に工場を建て貧困から抜け出し、何とか共和党支持は低下し、現在は国会に議員を送ることはなくなりました。
チェコ映画ファンであれば、同市を舞台に撮影された1984年製作”...a zase ta Lucie! (...あっ、マタあのルチィエ!)”を連想するのではないでしょうか?
この映画は児童向け映画で、小学校入学を直前にした可愛いLucieルチィエちゃんが、おじいちゃんと共にデパートを訪れた際に、ルチィエちゃんは欲しくてたまらない粘土を万引きします。
この万引きした粘土が小動物に化け繰り広げられるコメディーです。
...a zase ta Lucie! Část 9
<市概略>
モラビア=シレジア県の中心都市であるオストラバ市の名前は、Ostráオストラー川(現Ostraviceオストラヴィッエ川)に由来します。
18世紀後半まではオーストリア帝国辺境の地でしたが、1763年に石炭鉱脈が発見され、急速に工業化が始まりました。
1828年には後にロスチャイルド家の手に渡ったVítkoviceヴィートコヴィッエ製鉄所が創業します。
第二次世界大戦では空爆の対象と成ったりしましたが、石炭のおかげで1994年の炭鉱閉山まで同市は豊かな工業都市として発展しました。
鉱山閉山後、同市は荒廃し人々の心は荒んで行きましたが、2004年チェコのEU加盟を契機にモラビア地方への外国資本進出が進み、オストラバ市やその近郊に拠点を置こうとする外資が増加し、少しずつ豊さを取り戻しつつ有ります。
<主な見所>
◎Nová radnice (Ostrava)新市役所
オストラバ市のシンボル的存在の新市役所。
同市役所は1925年から1930年に架けて建てられました。
高さ80㍍有る同役所建物のは天候が悪くない限り公開されており、72㍍地点に位置する展望台から市内を一望出来ます。
◎Stodolní uliceストドルニー通り
オストラバの目抜き通り。
オシャレな飲屋・レストランが並ぶ、チェコ中で一番トレンディーな繁華街です。
たが為にスリも多いので気を付けてください。
このサイトで同通りを、地図とビジュアル映像で紹介しています。
◎Moravskoostravský hrad モラフスコオストラフスキー城
13世紀初め頃に司教、館として建てられましたが、今では城の面影は殆ど無く、19世紀と20世紀の変わり目に辛うじて残っていた建物の一部が保存されています。
◎Ostravské muzeum/Stará radnice オストラバ博物館/旧市役所
現在オストラバ博物館として地域の歴史を伝えている旧市役所は、1539年に最初の建物が建設されました。
1837年から1840年に架け老朽化した建物は最初の改修工事を受けました。この際、3階部分が増築され現在の姿に近い容姿になりました。
2004年から2005年には全面大改修工事が施されています。
また新市役所が建設された後の1931年より博物館として利用されています。
Vstupní chodba 入口ホール
Výhled z věže Ostravského muzea 尖塔からの眺め
Výstava - Ostrava, město neřesti オストラバの堕落展
Zvonice 鐘楼
◎Masarykovo náměstíマサリク広場
オストラバ市の中心広場。
1702年にペスト克服を記念して建てられたマリア様スロープ、そして噴水が印象的な広場です。
夜景は殊に幻想的で必見の価値ありです。
◎Expozice Miniuni - svět miniaturミニチュアの世界展示場
1,5㌶の敷地に約20ものミニュチュアが展示されています。
Big Ben ビッグ・ベン
Cheopsova pyramida ギザの大ピラミッド
Eiffelova věž エッフェル塔
Palác Akropolis アクロポリス宮殿
Výstava - světové mrakodrapy 世界の摩天楼展
◎Slezskoostravský hradスレスコオストラフスキー城
クラコフに向かう道の補給地として13世紀に同城が建てられます。
城の持ち主は移り変わり1714年にWilczkウィルツク家に渡り、以後1945年まで同家が所有します。
17世紀に城敷地内に炭鉱が発見されて以後、城は採炭のため徐々に壊されてゆきます。20世紀初頭より城建物を保護する動きが始まりましたが、1954年には城敷地が16㍍も陥没したほど採炭の影響は大きかった模様です。
Expozice - Historie hradu a města Ostravy 展示‐オストラバの城と街の歴史展
Expozice - Husitství 展示‐フス派運動展
Hradní galerie 城のギャラリー
Hradní galerie - Ostravská panoramata 城のギャラリー-オストラバのパノラマ展
Hradní pevnost - terasa, 1 城の防塁1
Hradní pevnost - terasa, 2 城の防塁2
Nádvoří 中庭
Obřadní síň 結婚式場
Sklep čarodějnic 地下室魔女展
Společenský sál 社交ホール
Vstup do hradní věže 城尖塔入口
◎Průmyslové muzeum - Národní kulturní památka Důl Michal産業博物館-国宝ミハル鉱
オストラバと言えば鉱山。
市中心地から少し離れていますが、現在産業博物館になっているミハル鉱を訪ねましょう。
Českobratorská通りのHusův sadフスーフ・サド・バス停から104番のトロリーバスに乗りMichálkoviceミハルコヴィッエ下車(所要時間片道約14分)すると目の前に現れます。
Důlní trafostanice 鉱山変電基地
Důlní základna 鉱山基地
Expozice báňského záchranářství 鉱山救援隊展
Historická část areálu 鉱山広場
Hlavní překop jámy Anselm アンセルン坑道
Podzemí - uhelný kombajn 石炭コンバイン
Řetízkárna チェイン保管場
<リンク>
・オストラバ市役所公式サイト
・オストラバ博物館/旧市役所
・ミニチュアの世界展示場
・スレスコモラフスキー城
・ストドルニー通りの現在(ウエブ・カメラ)
◎YouTubeで見つけた同市のプロモーション・ビデオ。
Ostrava City in Motion Czech
Ostrava City in Motion english
<アクセス>
プラハからはPraha hl.nプラハ本駅から直通列車が運行されています。所要時間片道約3時間49分。
またPraha,,ÚAN Florencプラハ・フローレンツ・バスターミナルから直通バスも運行されています。所要時間片道約5時間20分。
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2009年08月23日、第一編集終了。
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